甘口辛口

孤立から低所志向へ(その5)

2010/12/22(水) 午後 2:17

 (殷時代の青銅器)  

孤立から低所志向へ(その5)


「光」体験の変形を思わせる現象に、こんなものもあった。

その頃の教員には日宿直の義務があり、順番制による日直の日がやってくると日曜・祭日など休校中の学校に出かけて事務室で電話番をしなければならなかった。宿直の順番が来ると、学校に泊まり込んで夜間の校内を見回るのである。

六月になったある日、順番表に従って、私は弁当持参で日曜日の学校に出かけた。前夜の宿直職員と引き継ぎを済ませ、事務室に一人残されたのは午前九時頃であった。私は事務机の一つに腰をおろし、家から持参した本を開いた。これから電話の番をする退屈な一日がはじまるのである。だが、私は本を読むかわりに、窓の外を眺めはじめたのだ。窓の外には目を遊ばせるのに手頃な広さの芝生がある。教室を三つはど合わせた程の広さの芝生で、これをかこむようにして右手に図書館があり、左手に正面玄関へ通じる銀杏並木がある。

芝生を越えた正面には、学校の外廓めぐる土手があった。その手前に桜の大樹がそびえている。つまり矩形の芝生は、建物と樹々にぐるりと包まれ、一升桝の底面のような形になっているのである。銀杏並木の向うには防火用の貯水池が見える。

私はその日一日、何もしないで事務室の窓枠にはまった、これらの景色を眺めていた。文字通り一日中、昼食の弁当を食べる時以外、窓に向って窓外の景色を眺めていたのだ。退屈するどこではなかった。私の心は輝やかしい充溢感で一杯になっていた。天地は、「清浄身」であり、この地上のすべてが「浄土」だった。

午前中の日光は、桜の梢を越えて東側から芝生に射している。しかし、それは巨大な日時計を見ているように少しずつ角度を変えて移動し、午後になると反対側からの日射しになる。その間に、あるとしもない風を捕えて、桜の枝々は交互に緩慢な動きを繰り返し、病葉がハラハラと芝生の上に落ちて来る。思い出したように土手の向うの道を人が通る。買物からの帰りの主婦や、これから遊びに出て行く小学生達だ。子供達は大きな声で喋りながら通り過ぎた。彼らの言葉は、はっきり聞き取れるが、格別、こちらの気持ちは動かない。ただ、そのものとして聞いているだけである。

貯水池の方で魚の跳ねる音がする。池の水面すれすれに伸びている桜の枝が、引伸器のアームのように、水面上に見えない図形を描き続けでいる。風景はあちこちで間断なく動いており、目はそれを捕らえているけれども、私の意識は深いところで陶酔の状態にあって、視野のなかの動きには左右されない。

(世界は、かくのごとくにある。存在するものは、なべて、かくのごとくにあるのだ)と思った。世界は、昔からこうあったし、未来においてもこうあるのだ。私は過去と未来をひとつに貫ぬく通時的な目で、眼前にある光景を眺めていた。人類が消滅した以後も、自然は永劫にかくのごとくあり続けるのだ。

やがて日は傾いて、視野の一角に見えるコンクリートの校門も黄昏の色に包まれはじめた。だが、輝やかしい充溢感は依然として続いていた。深い陶酔の感覚も変らなかった。二度の至福経験は、宇宙の始源につらなるような絶対の光を垣間見せてくれたが、それは長くは続かなかった。精米屋の屋根裏で本に読み耽っている時、私の心の底に光に包まれた「壷中の天地」があらわれた。この心の中に生まれた光の燈籠のようなものは、本を読んでいる限り夜を徹して続いたが、本を閉じれば消えてしまった。

だが、その時、私が感じていた充溢感は、現実の世界の只中で、一日中切れ目もなしに続いたのである。終日、充溢感が続いたのは、終日、私の内から透徹したものが溢れ出ていたからだと思われた。それは、泉の湧出を思わせるように物静かに私の内部からから出て行って、木や草や魚のはねる池をうるおしたのだった。充溢感の正体は、私から出て行った生命のうわ澄みのような透体だったのではないか。私が見ていたのは、風景ではなく風景という器を満たした透体だったのだと、私は思った。

──私はこの日直当日の体験を含めて、考えたことのすべてを自費出版した本の中に書き込んだが、それから三十年たった今になってみると、本の内容を少し修正する必要を感じている。たとえば、本の中で上述の「透体」に関する考察を詳しくしているが、これなどは全面的に書き直さなければならないと思っている。

人間の意識は、二層の構造になっていて、表層にある自我意識はハッキリと把握できるが、もう一つの底層意識の方は明確につかめない。この底層意識は、フロイトのいう「無意識」とは異なる。フロイトのいう無意識は、自我意識と同様に欲動エネルギーと結びついているから、精神分析などの治療技術によって表層意識上に浮かび上がらせることも出来るのである。が、底層意識は意図して呼び出すことが出来ない。これは、それ独自の半ば自動的なシステムによって動いているからだ。

底層意識は、現実の世界をありのままに写し取り、その鏡に映したような世界像を自我に示すことを任務にしている。この意識は良心・魂のようなものと誤解されることがあるが、それらとは異なっている。世界に関する公平な地図を自我に示すだけで、「強制力」を持たず、具体的に、こうしろ、ああしろ、と自己に指示することはない。この、あるのか、ないのか、分からない下意識が姿をあらわすのは、表層の自我意識がデッドロックに乗り上げて座礁した時なのだ。

最初に「光」体験をしたとき、私は精神的に動きが取れなくなっていた。世界史に対する遠視的展望も失われ(時代は東西の冷戦期で、どちらが勝利するか分からなかった)、自分の将来に対する近視的展望を立てることも出来なかった。人生最悪の時期だったのである。「欲望するだけで行動しない人間は、心に疾病を生じる」という言葉があるけれども、私はまさにそんな状態にあった。自意識は過剰になり、そこへさらにマイナスの感情や意識が積み重なって、表層に溜まった過重なエネルギーで自我は動きが取れなくなっていたのだ。片肺飛行を続ける航空機みたいになり、つまり深刻な鬱の状態にあった。

底層意識は、世界をありのままに公平にとらえる。狩野享吉は、「万物をあるがままにとらえる科学者は、心が冷たいのではない。逆に博愛精神を持ち、すべてのものを愛しているから、客観的・公平になれるのだ」という意味のことをいっている。底層意識が人知れず、すべてのものを鏡のように公平に見て取るのは、全有に対して深い敬意と愛を抱いているからだ。

禅僧が自己の源底には「古鏡」があるというのも、人間には万物を愛をもって眺める仁愛本能があると考えているからだ。

表面に現れている自我意識がエゴイスティックな意識だとしたら、その下層にあって常夜灯のように世界を照らしている底層意識は人道的な意識だ。この両者が不即不離の関係でバランスを取っているときに、人は健全な生を営むことが出来る。

ところが、エネルギーが自我意識に集中して片肺飛行をする形になると、自我はその重さに耐えかねてエネルギーを底層意識の側に解き放つのだ。だが、底層意識は世界を愛をもって、ただ広く深く見るだけの意識だから、流れ込むエネルギーを受けつけない。そこで自我エネルギーは底層意識が把握する「世界」を照らすエネルギーに変わるのである。

体験時に個人を包む目くるめくような光は、底層意識が発したものではない。自我エネルギーが照明エネルギーに転化したことによる輝きであり、暗くて狭い自我の檻を出てエネルギーが広い世界に躍り出たときの輝きであり、そしてまた浄土としての「世界」自身が発する輝きなのである。あの瞬間的な光の爆発には、様々な輝きが織り込められていたのだ。愛をもって眺めるときだけ、世界は光り輝く清浄身となり、「尽十方世界一顆明珠」(道元)という言葉が示すような明るく澄んだ珠玉に変わるのである。

体験中に光が次第に明るさを減らしながら、なお、暫く輝き続け、体験する人間に深い喜びをもたらすのはなぜだろうか。

底層意識は、新しいものを生み出す力はないけれども、自我意識の歪みを正す整流作用の能力を持っている。体験者は、この作用を受けて、体験中にエゴセントリックな自我意識を、世界愛へと切り替えて行くのである。体験中に人は、自らの自我が再編成されれ、エゴ以外の大いなるものへの目を開かれたように感じ、自分が新しく生まれ変わったと思う。

自我は、下意識が見せてくれた「世界」の前に立つことで、自らのねじれ歪んだ意識が初期化されて本来の無垢な自分に戻る。体験が終わった後では、人は自分が生まれたばかりのまっさらな人間に戻ったような気持ちになって、安らかに眠ることが出来る。私は、体験後に、出産を終えた妊婦はこんな気持ちになるのではないかと考えながら眠りについている。

罪と迷いの深い人間ほど、体験時に大きな歓喜を感じるのは、自我意識がより多くのエネルギーを抱え込んでいるからで、燃料がたくさんあれば喜びの爆発もその分だけ大きくなるのだ。彼らの意識のもつれは、自分ではどうにもならないほどになっているから、下意識による整流作用を受けて、それらが初期化された場合の開放感もまた大きくなる。

内的な光の奔出も、その後の歓喜も、意識下にあった「真我」や良心が意識面に躍り出たからではない。それらすべては、自我の管理下にある情動エネルギーによる自作自演の振る舞いなのだ。底層意識は、触媒となって自我エネルギーの自作自演を側面から援助しただけだから、翌朝になって自我が下意識から切り離された状態で目覚めると、自我は以前の姿に戻っているのである。

底層意識は、「事実唯真」の世界を写し取っていながら、終始脇役の地位に甘んじている。だが、この意識はすべての人間の内部で働いているから、自分とは関係のない遠い他国で大量虐殺が行われていることを知れば、誰でもいても立ってもいられないような気持ちになる。生みの親が、わが子を虐待して死なせたというようなニュースを目にして暗澹たる気持ちになるのも、この意識があるからだ。

世界史が人間平等、基本的人権の尊重、国際協調などの方向に進んで行きつつあるのも、人類すべてが「事実唯真」の世界を共有しているためだ。遠視的展望の目で世界の未来を眺めれば、人類は開明を目指して進む人間精神の底流に運ばれて、世界政府の実現に至ることは疑いないと思われる。