甘口辛口

首相が辞めるとき

2009/9/8(火) 午後 5:51

<首相が辞めるとき>


麻生首相の最後の記者会見(ぶらさがり会見)は、甚だ見苦しかった。まるで底意地の悪い主人が、使用人か下僕に対するような尊大な言い方で、記者の質問に答えたのだ。あてこすりと嫌み、お説教口調と恫喝、そんなものでこね上げたような最低の記者会見だった。

麻生首相は、首相就任直前に自分の任務は衆議院をすぐに解散して民意を問うことだと公言していた。にもかかわらず、任期終了ぎりぎりまで解散を引き延ばして来た。この間、彼のやったことは、ばらまき専門の失政ばかりだったが、この失政の有終の美を飾るものが「ぶら下がり記者会見」だったのである。

麻生太郎は首相になってから、なぜこんなに無様(ぶざま)な姿をさらしたのだろうか。

自分というものを過信していたからだ。首相に就任して世論調査の結果を見たら、彼が期待していたより低い数字しか出ていなかった。それで、彼は自分がいいところを見せれば、たちまち内閣支持率も好転するはずだと、解散の予定を先に繰り延べて世論の回復するのを待つことにしたのだ。だが、案に相違して、首相に対する評価は、じりじりと悪くなる一方だった。

普通の人間だったら、思い切って衆院を解散して、態勢を立て直して再出発するところだが、彼はすぐに人気が出ると自信満々で首相の座に居座り続けた。漢字が読めないで失笑を浴びたり、発言がぶれて不信を買ったりしながら、麻生首相の自信は微塵も揺らぐことはなかった。こういうところが、お坊ちゃんの特性なのである。お坊ちゃまというのは、子供の頃から大事にされてきたので、自分にはそれだけの価値があると思い込んでしまうのだ。まあ、志村けんの馬鹿殿様のようなものだと思えば間違いはない。

首相は自民党が大敗を喫した今回の選挙についても、最後まで楽観的だった。あらゆる世論調査が自民党の大敗を予想していたにもかかわらず、彼だけは自分が応援演説に出かければ聴衆がたくさん集まったということだけを根拠に、選挙民の反応はいいと言い続けた。そして予想外の惨敗を喫すると、自己の不明を恥じるどころか、記者たちに八つ当たりして、さらに評価を下げたのだ。

しかし首相が辞めるときに見苦しい記者会見をするのは、麻生首相に限った話ではない。福田康夫首相は、「あなたとは違うんです」で妙に気位の高いところを見せたし、佐藤栄作首相に至っては、最後の記者会見で記者たちを皆追い出してTVカメラだけを相手に最後の会見をするという蛮勇を振るっている。外国のリーダーが、記者会見でこんなマスコミを小馬鹿にしたような応対をするのを見たことがない。これは自民党による一党支配が半世紀以上も続いたことと同様に、日本的民主主義の後進性を示す範例にちがいない。

毎日のように続けられていた首相の記者会見を見ていると、首相と記者の関係が主人と下僕の関係を思わせるものになっていた。マスコミ関係者によると、各新聞社がぶら下がり会見には新人記者たちを送り込んでいるので、どうしても記者たちの方が位負けしてしまうのだ弁明する。たしかに、首相を取り囲む記者たちは若手ばかりでベテラン記者の姿は見えない。

これと対照的なのが、タレントの記者会見である。ベテラン芸能記者がズケズケ突っ込んだ質問をしても、タレントは丁寧に応答して怒りの色を見せない。タレントは芸能記者が全国のファンを代表していると感じているが故に、相手を粗略に扱わないのである。

ところが、政治家は自分に群がってくる記者たちを国民の代表とは考えていない。記者たちを餌を求めて集まってくる犬の群れのように眺め、彼らに飯の種を与えてやっているのはこっちの方だと思い上がっている。記者たちは、こういう不遜な政治家に遠慮なく筆誅を加えるべきなのだ。だが、そこが日本という下僕社会に生きる悲しさである。目上の者に理由もなくひざまづくという、もはや習い性となっている悪癖から、政治家の前に頭を垂れ平伏してしまうのだ。

首相が新聞記者に傲慢な態度で臨むのは、首相自身も下僕社会で生きてきたからだ。首相候補まで上り詰めるまでに、彼らは「雑巾がけ」という下回りの仕事に精出してきた。麻生太郎も総理になる以前に、小泉首相の肩の雲脂(ふけ)を払ってやっていたそうだし、佐藤栄作は丁稚奉公のように身を屈して吉田茂首相に仕えていたと言われる。下僕として生きてきた人間は、少しでも地位が上がると、今度は自分より下位の人間を下僕扱いするものである。

先日、NHKの「日本海軍400時間の証言」という番組を見ていたら、特攻攻撃を支持した海軍幹部のある人物が、「一億特攻隊」を提唱したという証言があった。日本陸軍の指導層には、「一億玉砕」を呼号するものがいたし、陸軍も海軍も頭が狂っていたとしか思えない。彼らは、天皇中心の国体を守るために、国民全員が特攻隊になり、国民全員が玉砕すべきだと考えていた。彼らは、国民全員が玉砕した後、天皇一家だけが残るという不気味な光景を想像したことがあるだろうか。馬鹿も休み休み言うことだ。

「日本海軍400時間の証言」には、戦後になって海軍省の幹部らが、天皇の戦争責任を転嫁するために、責めを東条英機一人に集中させる工作を行ったという証言もあった。──日本的下僕根性の根源は、このへんにあるのかもしれない。