甘口辛口

ヤクザ体質の評論家

2009/7/30(木) 午後 4:11

<ヤクザ体質の評論家>


戦後20年ほどたった頃だった。「独立愚連隊」という映画が作られて、広く人気を博したことがある。私はこの映画を見たことがないけれども、聞くところによれば、軍隊に入った愚連隊の面々が戦争で大活躍するという内容の映画だったらしい。ちなみに、愚連隊とは、「繁華街をうろつき、暴力行為や犯罪行為をはたらく不良集団」のことである。

日本人は不思議な民族で、ヤクザや愚連隊を美化した映画や演劇を好む傾向がある。ヤクザなどには、「強きをくじき、弱きを助ける」というイメージがあるからだ。反権力を掲げた全共闘の学生たちが、高倉健の登場するヤクザ映画を愛好したのも、このためだった。

だが、ヤクザや愚連隊の実態はどうなのだろうか。彼らは、本当に「弱きを助ける」義侠心を持ち、戦場に出たら祖国のために勇敢に戦ったのだろうか ――全く、逆だったらしいのである。

会田雄次の「ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界」という本には、著者が戦場で行動を共にしたヤクザ風の上等兵の話が載っている。この兵隊は、残酷なやり方で新兵をいじめるので皆から恐れられていた。会田雄次自身も、この男から以下に述べるような制裁を受けていたのである。

男はどこかからくすねてきた刺身の一片を足に指先に挟み、「おい、大学講師よ、食え」と会田に突きつけたのだ。会田がためらっていると、相手は、「私なんぞの料理は食べられませんやろな」と言って、気絶するくらい未来の京都大学教授を殴りつける。

その新兵いじめの上等兵が、戦場に出るや否や、情けない本性を暴露してしまうのだ。会田たちの部隊が塹壕から塹壕へ移動した時のことだった。前方にある塹壕に飛び込むには、流れ弾の飛んでくる遮蔽物のない裸地を走って行かねばならない。部隊が無事に先方までたどり着いて、人員を点呼してみると例の上等兵がいない。

「またか」と中隊長は舌打ちして、「会田、向井、お前らでつれてこい。ひきずってでも連れてこい」

会田らが危険を冒して、もとの塹壕に戻ってみると、相手は岩の陰に隠れて座り込んでいる。顔面は蒼白、そのくせ、全身汗びっしょり。彼は腰を抜かしているのだった。「先へ行け、すぐ行く」と呟く上等兵を背負うようにして、会田ら二人が塹壕に戻ると、待っていた中隊長は、いきなり古兵の横面を張り飛ばした・・・・。

こういう挿話を紹介した後で、会田は次のように続けている。

「日本人では、ヤクザや愚連隊は、戦闘に強い、という観念が支配している。・・・・ヤクザが強いのは相手が弱いときである。自分に対し、相手が恐怖感を持っていることを、彼らは本能的に知りきっている。そのため、彼らは自信を与えられ、強くなるのだ」

それから、会田雄次は、戦場で本当に強いのは、愚直で、鈍重で、思い切りの悪そうな百姓兵の多い部隊だったと語った後で、こう書いている。

「ヤクザの殺し合いなどは完全なインチキに過ぎない。戦場では、いれずみ、いやがらせ、すごみ、ドス、かれらがたよっていた一切のものは寸分の効果も持たない。その反対にかれらの持っていない真面目さ、他人への愛情、人間的連帯感、個人責任といったものが、戦場にたえる根底になるのである。・・・・・やくざや愚連隊が激しい戦いのとき、一番臆病で卑劣な兵隊になるのは当然だと私は思う」

――ところで、空威張りしてみせるが、芯は臆病で卑劣だというのは、ヤクザや愚連隊だけであろうか。日本人の男優が誰でもうまく演じられる役柄は、ヤクザと兵隊だといわれる。この事実は、たいていの日本人が潜在的にヤクザや兵隊の素地を持っていることを意味してはいないだろうか。事実、日本の男たちの多くは、軍隊で年期を積んでいるうちに、新兵いじめを楽しむようになったのである。

相手が弱いと見ると、高姿勢になるのはヤクザばかりではない。テレビによく顔を出す評論家にも、この手の人物が多いのである。

先日、「たかじんのそこまで言って委員会」という番組を覗いたら、驚くような問答が交わされていた。外部から誰かを連れてきて、大胆な予言をさせる。その後で、ひな壇に座っている大体が右派系のコメンテーターが、その予言を信じるか信じないか答えるという番組だった。

チャンネルを回したら、軍事評論家と称する男が、「20年後、沖縄は中国領になっている」と予言していた。これは現代の国際情勢に全く無知な人間の暴言で、日本海に浮かぶ岩だらけの竹島さえ、日韓両国が領有権を主張して何十年も争っているのだから、中国が沖縄を領有などしたら、日中両国だけでなく国際的な大問題になり、中国は世界中から袋叩きにされることは明らかなのだ。こんなことは、万が一にも起こりえないことは小学生でも知っている。ところが、軍事評論家氏は、沖縄には中国の工作資金が入って県民が買収されているとか、経済面で中国依存を強めている米国は中国が沖縄を領有しても黙認しているだろうとか、途方もないことを弁じ立てるのである。

この荒唐無稽な予言には、さすが右派系の評論家たちも、8人中6人までが「信じない」と答えたのだが、「信じる」と答えた馬鹿者が二人もいた。政治評論家の三宅久之と金美齢である。

三宅久之と金美齢は、読売系のテレビ局によく顔を出すので、彼らが強きに媚びて、弱い者いじめをするヤクザ的評論家であることは十分承知していた。だが、まさかこんな暴論に組するほど愚かだとは思わなかったのである。

三宅は、「私は日本の前途を憂えて、死んでも死にきれない」と、まず自分が憂国の士であることを売り込んでおいて、沖縄県民は反政府・反本土だから、島民の方から中国領になりたいと言い出すに決まっていると断定するのだ。これが、いつもの三宅のスタイルなのである。政府・与党を批判する相手が少数派であり、弱者だと見極めがつくと、口汚く罵ってみせる。今度も、政府に逆らう沖縄県民を高みから見下して叱りつけたのだが、これほど沖縄県民を侮辱した言葉はないのだ。

沖縄県民も日本人であり、日本人であることに誇りを持っている。その県民に、三宅は「君らは中国人になりたいと願っている不届き者だ」と決めつけたのだ。沖縄県民にあらぬ中傷を浴びせかけた三宅は、土下座して県民に謝罪しなければならない。

金美齢も、三宅同様のガミガミ婆さんだが、この日は、自らの裸身を誇示するのに精出していた。裸の両肩を覆っていた上布をしきりに動かして、視聴者の視線を自身の腕や肩に集めようとしていたのだ。このくらい自惚れの強い婆さんでないと、タカ派論客をやっていられないらしい。彼女は、沖縄が20年たたずに中国領になると予言してから、その理由は日本人が自分のことばかり考えて、国の安全保障に無関心だからというのである。

この婆さんは三宅のように露骨に政府・与党の肩を持つことをしないで、ひたすらリベラル・グループ攻撃に専念する。彼女が旦那と共に日本で稼ぐことが出来るのは、リベラル派のお陰だということを忘れては困るのだ。国際協調の観点から外国人に対しても、マスコミや大学の門戸を開くべきだと運動してきたのは、リベラル・グループなのである。恩を仇で返してはいけない。

テレビの視聴者は、三宅久之や金美齢が論敵を高飛車な態度でやっつけるところを面白がって眺めている。だが、二人に喝采する前に、彼らが実は強者にしっぽを振るヤクザ的評論家ではないかと疑ってほしいのである。かのハマコーのような例もある。ハマコーは、ハト派やリベラル派を罵倒し、恫喝していたが、金丸信の前に出ると平身低頭、奴僕のようだったと言われている。

傲慢な人間ほど卑屈であり、傲慢度と卑屈度は正比例するというのが世の定説になっている。