甘口辛口

街宣車の不思議

2008/4/7(月) 午後 6:54
<街宣車の不思議>

記録映画「靖国」が、問題になっている。

この作品を見た「識者」のほとんどすべてが、政治的にも宗教的にも偏向した映画ではない証言しているにもかかわらず、映画館がこの映画の上映予定を取りやめたのは、まず週刊新潮がこれを偏向映画だと攻撃し、その尻馬に乗ってネット右翼が騒ぎ出したからだった。しかし、自民党の衆議院議員稲田朋美がしゃしゃり出るまでは、すぐに鎮火するボヤ程度の騒ぎで終わる筈だった。

しかし稲田朋美が「文化庁」に圧力をかけ、国会議員による映画試写会を開かせたことで俄然、ボヤが本格的な火事になってしまった。映画館には右翼からの脅迫電話がかかり始め、街宣車も動き出す気配も見せたから、映画館は、「近隣に迷惑をかける」ことを理由に「靖国」の上映を取りやめることにしたのである。

問題の火付け役である稲田朋美議員は、復古派の古手議員だろうと思っていたら、案に相違して美女の部類に入るかもしれない女性議員だった。しかも、彼女は言論の自由を守るという社会的な責務を負っている弁護士だったのだ。

サンデープロジェクトの司会者は、「自分には言論弾圧の意図はなかった」と弁解する稲田議員に対して、それなら罪滅ぼしのため今度は国会議員ではなく国民を対象にした試写会を開いたらどうかと提案している。──どうです、稲田議員、その提案を受けることにしたら。

私が不思議でならないのは、どうして国はハタ迷惑な街宣車を野放しにしておくのかということだ。日教組の大会となると、全国から街宣車が「雲霞のごとく」集まって騒ぎ立てるし、プリンスホテルの問題でも街宣車の存在が日教組拒否の口実になっていた。街宣車が憲法で保障されている「表現の自由」「集会の自由」を公然と蹂躙しているのに、政府も国会もただ傍観しているだけなのだ。

外国の事例を持ち出すのは、気がひけるけれども、ドイツではナチス再興の運動をしたり、言論の自由を妨害したりすれば、犯罪として厳しく処罰されるそうである。ところが、わが国ではタカ派が「大東亜戦争」を賛美したり、街宣車が軍艦マーチを大音量で流しながら街を走り回っても、当局は見て見ぬふりをしている。

今日の新聞に、近藤一(88才)さんの話が載っていた。

 沖縄へ転戦する前、近藤さん
は中国の戦線にいた。初年兵と
して大陸に渡って一週間ほど経
ったころ、生きている中国人捕
虜を銃剣で突き殺す.訓練″を
させられた。「豆腐を箸で突き
刺すような」生身の感触に驚き
つつ、「あ、俺も人を殺したん
だな」と思った。

 戦闘では、何百bも離れたと
ころにいる中国兵が、擲弾筒で
ばたばたと倒れていくのを見
て、「やった、やったー」と声
を上げて喜んだ。ただおもしろ
く、ただおかしかった。

銃弾一発で何人貫通させることができ
るか、中国人を並ばせて実験
もした。集落への討伐では、逃
げ遅れた女性を輪姦した。放心
状態で声も出せない女性を、兵
隊仲間七、八人で入れ替わりに
弄んだ。そして「たいていの
場合、女性は、口封じに最後は
殺された」。

私が勤務していた高校の校長も、分隊長の命令で中国人捕虜を銃剣で刺殺させられたという。日本兵がこういうことをしてきたから、近隣諸国の国民は小泉元首相の靖国参拝に抗議するのである。それより日本人として耐えられないのは、広島・長崎でなくなった原爆犠牲者に対して彼らが冷淡なことなのだ。アジアの民衆は、米国の原爆が戦争を終わらせてくれたというので、米国の原爆投下を是認しているのである。

しかし保守派の学者や評論家が「大東亜戦争」を肯定し賛美するのは、まだ許せるかもしれない。彼らは戦争の実態を知らないのである。が、街宣車が言論や集会をつぶしにかかることだけは、放置しておいてはならない。民主主義を崩壊させる蟻の一穴になりかねないからだ。

街宣車を野放しにしているのは、政府・与党である。
国会が法律を一本作って、厳しい罰則を適用すれば、街宣車はたちまち一掃される。彼らは信念に基づいて行動しているのではなく、ボスに命じられて暴力団の構成員が動いているだけなのだから。

政府・与党が街宣車の横行を放置しているのは、街宣車の攻撃目標が左翼・リベラル陣営向けに特化しているからなのだ。では、野党が政権を取ったら、状況は改善されるだろうか。あまり期待は持てないのである。民主党内には、松下政経塾出身のタカ派議員をはじめ、民主主義を擁護する熱意に欠けるものが少なくないからだ。

残念ながら、わが国に真のリベラル政党が生まれ、政権を奪取するまでは街宣車の消えることはない。

でも、いずれは日本にもリベラル政党が出現し、街宣車は姿を消す。それは信じられるし、信じなければならないのである。