甘口辛口

イギリス王室とダイアナ妃

2008/3/2(日) 午後 6:40

<イギリス王室とダイアナ妃>

先日、WOWOWで「マリー・アントワネット」という映画を見た。一昨日、同じWOWOWで見た映画は「クイーン」という題名で、ダイアナ妃の葬儀をめぐるエリザベス女王とブレア首相のかけひきを描いた映画だった。実録に近い映画だったせいか、私には大変面白く感じられた。

映画「クイーン」は、政権を握ったブレアが女王から首相として認証してもらうため、夫人を伴って宮殿に出かけるところから始まる。イギリスも日本と同様、国王の形式的な認証を受けなけないと首相になれないのである。しかし、この時点から早くも日本とイギリスの違いが出てくるのだ。

日本では、天皇による認証式は多分広間で多くの高官に見守られながら行われるに違いない。首相は天皇の前に進み出て深々と一礼し、天皇の手から認証書を受け取るのである。ところが、イギリスのやり方は、実にあっさりしているのだ。

侍従に先導されて女王の私室まで来た首相は、夫人をドアの外に待たせておいて、自分だけで入室する。すると女王も一人だけで待っていて、首相に椅子を勧め、自分も向かい合った椅子に腰掛ける。短い対話の後に首相は立ち上がり、女王の前で片膝をつき相手の手に接吻する。これで女王による認証式は終了ということになる。認証書のやりとりなどは一切ないのだ。

その後で首相夫人も入室し挨拶した後に、夫妻は揃って退出する。このとき、女王に背中を見せないように、後ずさりして退出するところだけが王宮に特有の儀礼に過ぎない。

これより、もっと驚いたのは老齢の女王が、クルマを自分で運転して外出する場面だった。日本だと天皇が外出するということになれば、熟練した運転手の動かすクルマに乗り、前後を護衛のクルマに囲まれて出発する。だが、イギリスの女王は、地方の別邸で過ごすようなときには、自分専用の古びたクルマに乗り込んで走り出す。映画では、その車が人跡希な場所で故障して動かなくなるので、女王は携帯電話で秘書を呼び出して救援に来させるのである。女王といっても、そのへんのシャキッとした婆さんと変わらない生き方をしているのだ。

ブレア首相は、こういう単純明快な女王の行動に敬意を表していたが、ダイアナ妃がフランスで急死したときには、その葬儀の仕方をめぐって女王と対立する。女王にとっては、ダイアナはもはや王宮とは縁のない民間人なのだ。フランスにあるというダイアナの遺体はダイアナの実家が引き取り、葬式も実家の好きなように執り行えばいいのである。ダイアナを「国葬」で葬るなど、以ての外のことだった。

だが、ブレア首相はダイアナに対するイギリス国民の気持ちを知っていた。彼は声明を発表して、今は平民となっているダイアナを「国民のプリンセス」と呼び、厚い弔意を示すのである。ダイアナの元夫であるチャールズ皇太子も、女王の意に反してダイアナの遺体をフランスまでひき取りに行き、バッキンガム宮殿に安置する。

だが、女王は滞在中のスコットランドを離れようとしない。女王の夫のエジンバラ公のごときは、ダイアナに対する国民の感情を無視して、平然と鹿狩りに興じるという有様だった。これを見て、イギリス国民の女王一族に対する怒りが沸騰する。

ロンドンの宮殿前には、国民の献花が日に日に増えて、まるで花束の洪水のようになる。この時期、君主制を否定する世論が急速に増えて、イギリス国民の四人に一人までが王制否定論者になったといわれる。ブレア首相の妻も否定論者の一人だった。

こうした情勢の中で、ブレア首相は必死になって女王を説得する。── 一刻も早くロンドンに戻り、ダイアナへの弔意を示すべきだ、もし民間人になったダイアナを国葬にすることが出来ないなら、内閣が主導して「国民葬」を行うから、それを許してほしい。

女王もダイアナへの国民の愛が、自分への憎悪となって跳ね返っていることを知っていた。女王とダイアナが犬猿の仲だったことは、全国民周知の事実だったのだ。女王は王室の安泰をはかるには、ブレア首相の助言に従うしかないことを納得したが、夫のエジンバラ公や、妹のアン王女は頑としてダイアナ無視の態度を変えない。

一方、ブレア首相の周辺でも、首相が王室のために配慮しすぎるという不満がくすぶっていた。ブレアの妻はことあるごとに、「労働党員であるあなたが、王室に忠勤を尽くすのはおかしい」と苦言を呈したし、ブレア側近の党員たちもこの際君主制度を見直すべきだと提言していた。

女王と首相は、それぞれの身内に噴出する反対論を押さえて相互に接近する。女王はスコットランドからロンドンに戻り、ダイアナへの弔意を示し、ダイアナの葬儀を事なく終わらせたのである。

ダイアナの国民葬には、チャールズ皇太子とその二人の息子は、喪服ではなく平服で参列している。チャールズ父子は、そうすることで王室と国民双方に顔を立てたのである。チャールズ父子も、女王と首相が下した苦渋の決断を見習ったのである。

──王室に対するブレア首相の態度には、無用の混乱を避け、問題を平穏のうちに納めようとする明哲保身の姿勢が見られる。この政治姿勢は、アメリカのブッシュ大統領との関係にもあらわれる。ブレアは長年にわたって築かれた米英の親密な関係を崩すまいとして、ブッシュのイラク戦争に同調した。そしてイラク戦争に深入りしすぎて国民の反発を招き、首相の座を去らねばならなかった。

ブレアは、対ブッシュの関係ではダイアナの葬儀に見せた柔軟な姿勢を示すことが出来なかったのである。彼は国民の意思を代弁して女王を説得したように、イラク戦争に反対するイギリス国民の感情をバックにブッシュを説得すべきだったのだ。