甘口辛口

朴烈大逆事件

2007/8/24(金) 午後 9:06
私は以前に金子ふみ子の手記を読み、自分のHPに彼女に関する記事を書いたことがあ
る(http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/fumi.html)。この時には、手元に資料がなくて瀬戸内晴海の「余白の人生」も、松本清張の「朴烈大逆事件」も読むことができなかった。しかし、その後、古本屋で「余白の人生」を手に入れ、今度、松本清張の「昭和史発掘」も手にはいり、朴烈と金子ふみ子のイメージが頭の中でかなりハッキリするようになった。

松本清張の実録物は、最初に一本の基本線を描き、その上に事実を配列して行く点に特徴がある。「朴烈大逆事件」も事件の背景に、関東大震災時の朝鮮人虐殺という一本の基軸を置き、その上に事件を構築しているから、大変明快な読み物になっている。

広く知られているように、大正12年9月の関東震災に際して日本人は官民共にパニックに襲われ、6600名余の朝鮮人を殺害している。当然、外国の大使館公使館から連名の抗議が寄せられ、政府は大いに苦慮することになる。殺害には、一般民衆だけでなく、憲兵・警察官などの「官憲」も加わっていたからだ。

政府に残された弁明の方法は、一つしかなかった。前々から朝鮮人は暴動を起こすことを計画しており、大地震をチャンスと見て不穏な動きを示したからだと弁解することである。そして、そうした政府の弁明に恰好の材料を提供するような情報が、司法当局の耳に飛び込んできたのだった。

震災直後には予防検束の名目で多くの社会主義者やアナーキストが逮捕され、大杉栄も憲兵隊に収監されている間に虐殺されたのだが、この時の収監者の一人に新山初代という女性がいて、その口から、「朴烈という朝鮮人が大逆事件を起こすために爆弾の入手を画策している」という話が飛び出して来たのだ。

政府は是が非でも、この話を「事件」に仕立て上げなければならなかった。
そこで東京地裁予審判事立松懐清は、あらゆる術策をこらして朴烈と金子ふみ子の自白を引き出そうとした。当局は事件の関係者として16名を起訴したものの、事件は朴烈と金子ふみ子の二人で計画したもので、その他の検挙者は皆シロらしいと見当がついたからだった。

その朴烈と金子ふみ子にしても、テロを実行したいという素志はあったけれども、まだ計画は煮詰まっておらず、両名の弁護に当たった弁護士の言葉によれば、「計画は夫婦の寝物語程度のもの」でしかなかった。

確かに朴烈は、先走って友人の金重漢に爆弾を用意してくれと頼んでいる。そのほかに、朝鮮在住の反日運動家や外国船の乗組員にコネをつけて爆弾を入手しようとしているが、いずれも話は途中でうやむやになっていたのだ。金重漢などは、朴烈が自分を大物に見せかけるために爆弾を注文して見せただけだと憤慨して、つかみ合いの喧嘩をはじめたほどだった。

実際の話、朴烈と金子ふみ子は、天皇・皇太子のいづれかを暗殺しようと話し合っていたが、それを大正天皇にするか皇太子(後の昭和天皇)にするか未だ決めかねていたのである。

この間の朴烈の言動をみていると、いかにも朝鮮の熱血青年(逮捕されたとき、朴烈は22才の若さだった)という気がする。壮大なプランを立て、派手に行動してみせるが、実質は意外に希薄だという当時の朝鮮熱血青年の短所を、朴烈も持っていたのであった。

朴烈に関する裁判所の調書には、次のようなものが残っている。

                  ・・・・・
                  
  問 被告ノ年齢ハ?
  
  答 ソンナコトハドウデモヨカロウデハナイカ。
  
  問 被告ノ戸籍謄本ニヨレバ、被告ハ明治三十五年二月
    三日生レトアルガ、ドウカ。

  答 多分、ソウデアロウ。生レタ日ヲ知ッテイル人ガア
    ルカ。

  問 職業ハ雑誌発行人カ。
  
  答 オレハ職業トイウモノヲ認メテオラヌ。強イテイエ
    ハ、ソレハ不逞業トイウノデアロウ。
    
  問 住所ハ?
  
  答 君ノイワユル住居ガ現在居ルトコロヲ意味スルナラ
     市ヶ谷刑務所デアル(第一回予審訊問調書)。
       ′                  
                  ・・・・・
                  
金子ふみ子が朴烈に惹かれたのも、朴烈のこうした傲然と構えたところだった。彼女は朴烈についてこう言っている。

「宿無し犬のような暮らしをしているのに、あの人は王者のようにどっしりしている」

実際、朴烈は判事から何を問われようと空うそぶいて何も答えないでいた。が、金子ふみ子が自白したと聞くと、一転して今度は誇らしげに計画を自分から話し始める。金子ふみ子にも告げずにいたというプランを誇大に語り、結果としてまるで死刑判決を招き寄せるようなことを口にしているのである。

大審院は二人に死刑を宣告し、各新聞はこれを号外を出して国民に大々的に知らせた。が、10日後に裁判所は、「特典を以て死刑囚を無期懲役に減刑せらる」と通達して刑を減じている。さすがに、裁判所も死刑にすることは無理だと思ったのである。ところが、減刑された金子ふみ子は、三ヶ月後に突然自殺してしまうのだ。

ふみ子が自殺した理由について、松本清張は次のように推測している。

< それにしても、金子文子はなぜ自殺したのだろうか。文
 子は、死一等を減ぜられた恩赦状の送達を拒んでいる。文
 子は、朝鮮人民を代表する朴烈が、朝鮮を侵略した日本帝
 国主義の代表者天皇から恩赦をうけることはこの上ない恥
 辱として、絶対にうけないだろうと信じていたらしい。
 
  布施の書いた未公開のメモには、「もしも自分(文子)
 が、そういう恩赦に少しでもの未練をみせたら、やっぱり
 文子は日本人だという嘲笑をうけることになる。そうなっ
 てはならないというのが彼女の覚悟だった。そういう文子
 の覚悟が、朴烈の恩赦拒絶態度よりもより峻烈な恩赦拒絶
 の態度をあえてさせたのだ」とある。
  (註:布施は朴烈・ふみ子の弁護士)>

金子ふみ子は、天皇の特赦を拒否する意志を明らかにするために自殺したのだが、彼女はこの時朴烈も天皇の恩赦を拒否するために自殺するものと信じていた。この辺に、愛する男を簡単に信じて「滅私奉公」してしまう日本女性の特徴があらわれているように思う。もし、彼女が朴烈との「遠距離心中」を夢見ていたとしたら(二人は当時別の刑務所に入れられていた)、ふみ子は、朴烈に裏切られたことになるのだ。自殺しないで生き延びた朴烈は、戦後になって釈放され、女子大卒の日本女性と結婚しているのだから。

だが、話はそれほど簡単ではなかった。
一体、ふみ子は何故早々と自供し、何故ああもあっさりと自殺したのだろうか。彼女が底知れないニヒリズムを心に抱いて生きていたためだと思われるのである。

ふみ子は、取調官に自らの心境を率直に語っている。

「生物界における弱肉強食こそ宇宙の法則であり、真理であると思います。・・・・生物がこの地上から影をひそめぬ限り、この関係による権力は消滅せず、権力者はぬくぬくと自己の権力を擁護して弱者を虐げる以上、・・・・私はすべての権力を否認し、反逆して、自分はもとより、人類の絶滅を期して、その運動を図っていたのであります」

すべての生物の根底には、弱肉強食のシステムが組み込まれている。人間にこれを変更する力がないとしたら、望ましいことはそういう生物がすべていなくなることだと彼女は考えていたのだ。地表上からすべての生き物がなくなること、人類の完全消滅こそが彼女の理想なのだった。地上から生物を一掃するためには、まず自らが死ななければならない。金子ふみ子は、何のために大逆事件を企てたのかという問いに対しては、「まず自分を抹殺するため、そして権力者を抹殺するため」と答えている。

こうした自死願望が根にあったから、彼女はむしろ死刑を望んで自白したのであった。死一等を減じられて処刑される可能性がなくなると、彼女は自らの手で自分を縊り殺したのである。問題は、彼女をこれほど深いニヒリズムに追い込んだ過去がどのようなものであったかということなのである。彼女はどんな境涯で生きていたのだろうか。彼女の手記は、その一端を私達にかいま見せてくれるという点で大変貴重なのである。