甘口辛口

雅子妃と紀子妃(2)

2006/8/10(木) 午後 1:36

何で見たか忘れたが、ある女性コラムニストが誌上で紀子妃に冷たい言葉を投げつけているのを読んだことがある。彼女は以前から皇室入りを望んでいたというのだ。

私は、秋篠宮が大学時代に友人と紀子妃の争奪戦を演じたというゴシップ記事を読んでいたから(注:この時、秋篠宮は「紀子は僕のものだ」と言い張ったという)、この女性コラムニストの言葉に引っかかるものを感じた。

雅子妃は、皇太子との結婚になかなか踏み切れなかった。彼女は確か、皇太子側からの求婚を一度は断っている。女性コラムニストはこうした事実を頭に置いて、紀子妃は大喜びで秋篠宮との結婚に飛びついたと言っているのである。

ところで、昨日、買ってきた「週刊文春」を読んでいたら、女性コラムニストの発言の根拠になっているらしい記事にぶつかったのだ。それは「小和田家と川嶋家」という特集のなかにある次の一節だった。


「──紀子さまはご結婚が決まってからというもの、テレビ番組『皇室アルバム』のビデオを宮内庁を通じて届けてもらい、お辞儀からお手振りまで、美智子さまのお振る舞いを一挙手一投足まで研究されたという」

紀子妃が秋篠宮との挙式以前に、皇室風のお辞儀やお手振りの研究に打ち込んでいたとしたら、彼女が昔から皇室入りを狙っていたという風評の生まれるのもやむを得ないかも知れない。まずいことに、結婚前の紀子妃には、これという使命感も、学問的関心も、趣味もなかった。だから、お手振りの研究ばかりが、人目をひいたのである。

紀子妃が結婚の前も後も、専業主婦的感覚から抜けきれないでいるのに対して、雅子妃の方は、結婚前の仕事の関係もあって、世界の貧困・エイズ・環境問題に関心を抱き続け、皇太子妃になってからも国連大学に通っている。彼女は婚約会見の際にも、「皇室という新しい道で、いかに自分を役立てるか考えたい」と発言して、社会的な意識の高さを印象づけていた。

だが、皇族としての生き方を比較すると、良妻賢母型の紀子妃が成功し、現代的な問題意識を持った雅子妃が挫折するという結果に終わっている。こんなことでは困るのである。この特集には、4月21日、宮内庁で開かれた春期雅楽演奏会の席上で、天皇が「居眠りをされたように見えた」という記事も載っている。宮中では、相変わらず、古くさい儀式典礼を繰り返し、天皇以下の皇族を苦しめているのである。

雅子妃の病気を治そうとしたら、1ヶ月や2ヶ月の外国静養では足りない。昔の国民病「結核」を治すには数年の安静が必要だったが、現代の国民病「鬱病」を治すにも、そのくらいの日時が必要なのだ。